駄菓子界のスターとして昭和の子供たちを熱狂させた日本初の当たり付きアイスクリームバー「ホームランバー」(税込み63円)が今月、発売50周年を迎え、記念に濃厚な味わいの大人向け「プレミアムホームランバー」(同105円)が発売されるのだ。
販売元、協同乳業(本部・東京都板橋区)のフローズングループ長、中村博之(43)は「浮き沈みはありましたが、何とかここまで来ました」と感慨深げに話す。ホームグラウンドの駄菓子屋が世の中から消えゆく中、ホームランバーは今も「現役」を貫いている。
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バーに「ホームラン」の焼き印があると、もう1本。「一塁打」のバー4本でも、もう1本。
野球人気にあやかって、このアイデアを考えたのは、1960年の発売当時、同社のアイスクリーム課長だった森三郎(85)。同社は55年、日本初の棒付きアイスを1本10円で発売して評判になったが、ブームは長く続かなかった。
そこに森は、巨人の長嶋茂雄がプロ2年目の59年、天覧試合で放ったサヨナラ本塁打のイメージから、「バーにホームランの焼き印を入れ、当たり付きにしよう」と社内で提案した。
「ホームラン坊や」のパッケージと「当たり」で、前回以上の大当たり。フルスイングする長嶋の写真を使った販促ポスターも大好評で、店頭から盗まれる騒ぎまで起きた。工場は24時間フル稼働。人手が足りず、森も手伝いに駆け付けたという。
発売当時、小学生だった庶民文化研究家の町田忍(59)は、「貧乏を経験した僕たちの世代で、もう1本もらえるのは1本分以上の感激があった。特別なものだった」と語る。
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「飽きられないよう、絶えず話題性を持たせることが必要だった」。宣伝部員だった近藤高達(73)は言う。ライバル社も棒付きアイスを売り出す中、近藤たちは次々に新キャンペーンを繰り出した。
力を入れたのが「満塁ホームラン」などの焼き印でもらえる景品。ゲームの「野球盤」に始まり、映画「未知との遭遇」が大ヒットした78年はUFOのおもちゃ、80年には球速を測るスピードガンと次第にエスカレートしていった。
ところが80年代から各地の駄菓子屋が姿を消し、同業他社はスーパー向けのお徳用箱売りアイスに重点を移した。協同乳業も当たりなしの10個パックを売り出したが、埋没感は否めなかった。89年に1本30円から50円に値上げすると、お得感を失ったためか、売り上げは下降線をたどった。
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しかし、ホームランバーは引退しなかった。2005年の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で古き良き昭和が見直されたことなどで、スーパーでも定位置を確保。駄菓子を置くコンビニも現れ、そこでもこつこつとヒットを重ねた。
「ホームランでもう1本」の当たりも健在で、東京都武蔵村山市の駄菓子屋「ともだちや」の店主、吉川恵美(33)は「真冬でも1日10本は売れます。今の子供にも当たりが受けているみたい」と話す。
ここ数年の販売は、年9000万本台をマーク。それでも後発の「ガリガリ君」(赤城乳業)にだいぶ水をあけられているというが、中村は「50周年の節目に、今年は1億本の大台に乗せたい」と意気込んでいる。(敬称略、大垣裕)